明治44年、別府温泉の泉源のうち自然湧出泉は17孔にすぎなかったと
言われています。人工掘削泉は576孔と湯突きによって増加したようです。
そして昭和17年には1,200孔まで達していました。
これは上総掘りと言って孟宗竹をテンビンというバネ状にした物を使って
掘り進む江戸時代からあった技術で昭和20年代まで活躍していました。
その後ボーリング技術による掘削が発達し、現在枯渇した泉源を含めると
4,000孔になっていったそうです。
このように江戸時代からの掘削技術によって泉都別府は栄えていったと
言われています。凄いことですね。
そんなことを思いながら毎日♨️ジモ泉に通っています。