佐賀旅行の目玉の一つは豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して
出兵拠点として築かれた名護屋城跡を見ることです。
1592(文禄元)年の開戦から1598年の秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、
7年の間大陸侵攻の拠点となったのがこの名護屋城です。
この名護屋城から壱岐の島を経て朝鮮半島へと出兵したようです。
あまり大きな船はなかったようですので大海原を航海するのはけっこう
大変だったと思います。
朝鮮へ出兵した兵士は慶長の役では14万人とも言われていて大陸では
大変な戦いをしていたようです。その中に「加藤清正の虎退治」のような
逸話もあったとされています。秀吉はなぜ大陸に向かったのでしょうか?
これが無ければ関ヶ原も起きてはいなかったかも知れません。
と言うことは徳川幕府も存在していたかどうか分からないですね。
歴史は面白いです。