明治10年に起きた西南戦争は日本最後の内戦となり、士族(武士)という軍事
専門職の存在を消滅させて終焉したと言われています。士族を中心とした西郷軍に
徴兵主体とした政府軍が勝利したことで、士族出身の兵士も農民出身の兵士も戦闘力に
違いはないことが実証され、徴兵制による国民皆兵体制が定着したと言われました。
明治政府が行なった廃藩置県により全国の直轄化が完成した明治政府だったが、
士族への俸禄支払いのため政府の歳出の30%にもなったため、赤字財政健全化の
ため士族廃止を進めたことにより、士族の反発が頻発し西南戦争へと進んで
行ったと言われています。西南戦争は大分、熊本、宮崎、鹿児島を戦地として
政府軍と反乱士族とが約7ヶ月かけて戦った戦争でした。
明治10年2月15日に鹿児島を出発した西郷軍は各地で政府軍と衝突、最大の
激戦地であった田原坂での戦いに敗れた薩摩軍は九州の各地で政府軍と戦い
9月24日鹿児島の城山での西郷隆盛の自決で終わりを迎えました。
ここ大分でも中津や竹田や臼杵などで戦闘があったと記録されています。
三重町の三国峠も西南戦争の激戦地として観光名所となっています。